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2010.02.06 |
『心ここ在らざれば、
視れども見えず、
聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず』
「大学」(儒教の経書)
中学生のときに、先生からこの言葉を教わった。
今の若い人たちの中では、この言葉を知らない人も多いだろうな。
この時は、単にものを見たり、聞いたりするときの心構えのようにしか感じなかった。
先生も、これに当てはまる漢字の意味をわざわざ解説してくれたものだ。
でも、いい歳になるとこの言葉の意味はそれだけでは済まされなくなってきた。
この言葉は、人生そのものの味わい方を説いているのだと思うようになるからだ。
決められたことだけをきっちりと守りながら、いっけん真面目なように見えるだけでその実、うつつを抜かして時間を消費してはいないだろうか。
ワシは大丈夫なのか。

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